なぜ4月4日が「どら焼きの日」とされているのでしょうか?また、「どら焼き」という名前にはどのような由来や意味が込められているのでしょう?この記事では、そんな「どら焼き」にまつわる豆知識やエピソードを詳しく解説しながら、その魅力をひも解いていきます。
どら焼きの日が4月4日である理由
「どら焼きの日」という記念日は、2008年に鳥取県米子市の和菓子メーカーである丸京製菓によって制定されました。この日には「どら焼きを通じてみんなが幸せになれる日」という願いが込められています。
では、なぜ4月4日が選ばれたのでしょうか?その理由は2つあります。まず、3月3日のひな祭りと5月5日のこどもの日に挟まれた4月4日が、どら焼きの形を思わせる「カステラ生地に挟まれたあんこ」という構造と重なること。そして、「4」と「4」を組み合わせることで「しあわせ(幸せ)」という語呂合わせが生まれるからです。
どら焼きは、柔らかい生地と甘いあんこの組み合わせが人々を自然と笑顔にしてくれるお菓子。そのため、4月4日という日に「幸せの象徴」としての意味を持たせるのにぴったりだと考えられました。
「どら」という名前の由来とは?
どら焼きは、2枚のふんわりとしたカステラ生地でたっぷりのあんこを挟んだ和菓子。その名前の由来は、その丸い形が打楽器の銅鑼(どら)に似ていることから来ています。
さらに、平安時代末期に伝わる面白い逸話もあります。伝説によれば、武蔵坊弁慶がある民家で手当てを受けた際、お礼として、小麦粉を水で練ったものを銅鑼で焼き、その中にあんこを包んで振る舞ったというのです。しかし、弁慶が活躍していた時代にはまだあんこが日本に存在していなかったため、この話は後世に作られたものとされています。
どら焼きの歴史をたどって
どら焼きはその形や味わいが時代ごとに少しずつ変化してきました。起源には諸説ありますが、平安時代から江戸時代、大正時代にかけて次第に現在の形に近づいていったと言われています。
江戸時代のどら焼きは、現代のどら焼きとは少し異なり、きんつばに近い形をしていました。小麦粉で焼いた薄い皮を折りたたみ、その中にあんこを包んでいたのです。明治時代になると、丸い形に改良され、大正時代には2枚の生地であんこを挟む現在のスタイルが確立されました。
ちなみに、どら焼きのカステラ生地は室町時代にポルトガルから伝わった「カステラ」が元になっていますが、現代のようにしっとりとした食感のものになったのは明治以降。水飴が材料として使われるようになってから、柔らかくしっとりした質感が生まれたのです。
どら焼きと幸せなひととき
どら焼きの名前の由来が銅鑼(どら)という楽器に関係していることや、4月4日が「どら焼きの日」として選ばれた理由はとても興味深いですね。また、同じ4月4日は「あんぱんの日」でもあるのをご存じでしたか?どちらも甘いあんこを使ったお菓子で、日本人にとても親しまれています。
せっかくのどら焼きの日ですから、家族や友人と一緒にどら焼きやあんぱんを味わいながら、幸せを感じるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか?