かつて日本には、「家制度(いえせいど)」と呼ばれる法律上のしくみが存在していました。明治時代に法制化され、社会の秩序を保つために大きな役割を担ったとされますが、第二次世界大戦後には廃止されています。
もっとも、形としては消えてしまった制度でも、その考え方や慣習は現在も一部に残っています。
ここでは、家制度がどのようなものだったのか、なぜ廃止されたのか、そして現代社会にどんな名残があるのかをわかりやすく解説します。
家制度とは何だったのか
● 家族制度の一種としての家制度
- 成り立ち
- 家制度は、明治31年(1898年)に制定された明治民法によって定義された「家族制度」のひとつです。
- 家族制度とは、国の法律などで家族形態を決めるしくみのことで、日本においては「家長を中心とした大家族」や「夫婦と子どもだけの小家族」などが社会的に位置づけられてきました。
- 明治民法における特徴
- 明治民法の家制度では「戸主(こしゅ)とその家族」がひとつの「家」とみなされ、戸籍も家単位で作られました。
- 子どもや両親、祖父母までもが同じ戸籍に入る「三代戸籍」が基本とされ、最年長の男性(祖父や父)が戸主として大きな権限を持つ仕組みです。
● 戸主が絶対的な地位を持つ理由
- 家の存続を最優先
- 家という単位を長く続けていくため、跡継ぎとしての長男や男系の子孫に重きが置かれていました。
- 戸主は家族全体の生活を支えつつ、一方で家族に対して命令権や同意権など強い権限を持っていたのです。
- 男系を重視する考え方
- 「男系」とは父方からの血筋をたどる継承方式のことで、女子の系統はあまり重視されませんでした。
- たとえば天皇制も男系であり、皇位は父方の血筋を継いだ男子だけが継承する、という原則が長く続いています。
家制度が生まれた背景
● 社会秩序の維持と国力の強化
- 序列のはっきりした家族像を求めた
- 明治政府は、当時の近代化のなかで秩序ある国づくりを重視していました。
- 戸主を絶対的存在に据え、家族それぞれの役割を明確にすることで、社会全体の安定をはかろうとしたのです。
- 天皇中心の国家体制との関連
- 天皇を中心に国をまとめるうえで、「戸主と家族」の関係を「天皇と国民」の構図になぞらえ、家制度の定着を図りました。
- 天皇を頂点とした家父長制的な仕組みを国民に浸透させるねらいもあったと言われています。
家制度の具体的な規定
以下のようなルールが明治民法には定められていました。現代の視点から見ると、驚くような内容も少なくありません。
- 戸主は家の最年長の男性と定められ、家を統率する
- 家族は戸主に従い、結婚など重要事項に戸主の同意が必要
- 財産や身分の継承は基本的に戸主の長男に優先権がある
- 妻は夫の家に入ることが前提で、夫の姓を名乗る
- 妻の就労にも夫の許可が求められることが多かった
- 住居の決定権は戸主にあり、家族全員を養うのも戸主の責務
- 男系子孫(男子の血筋)による家の継承を最重要視する
このように、家長の男性を中心にすべてが回るしくみでした。結果として女性の権利は非常に制限され、男子を産むことができない女性は厳しい目で見られるなど、性差に根ざした差別を助長していた面もあります。
家制度の弊害
家制度は当時の社会安定に寄与した一方、現代では不平等とみなされる事柄が数多くありました。たとえば次のような例です。
- 女性の相続権の制限
- 男子がいなければ女子にも相続権が認められましたが、あくまで例外的な扱いでした。
- 跡継ぎが生まれない場合の嫁への風当たり
- 嫁が男児を産めないと、離婚や批判にさらされることも少なくありませんでした。
- 正妻が産めなかった場合の非摘出子の利用
- 男子の後継者ができない場合、正妻以外との間に生まれた男子が家を継ぐこともあったのです。
- 妻の就労は夫の許可次第
- 経済的な自立が難しく、家庭外で働きに出ることが制限される場合が多かったとされています。
こうした価値観は現代からすると考えにくいものですが、長きにわたって当たり前のように受け入れられてきました。
家制度が廃止された経緯
第二次世界大戦が終結した後、日本は大きく社会を変革していきます。その過程で家制度にも大きな変化が生じました。
● 日本国憲法との整合性
- 日本国憲法第二十四条との衝突
- 1946年(昭和21年)に日本国憲法が制定され、翌1947年(昭和22年)から施行されました。
- 同憲法第二十四条では、結婚は当人同士の合意のみで成立し、夫婦は平等な権利を持つと規定しています。
- 家制度のように、結婚に戸主の許可を要し、男性に権限が集中する制度は、憲法の掲げる理念に反するとみなされました。
● GHQ(連合軍総司令部)の意向
- 天皇制の弱体化を目的
- 戦後、日本を占領したGHQは天皇制の廃止や弱体化を検討していました。
- 天皇制を支えていた家制度の廃止は、GHQの要求でもあったため、民法改正により家制度は消滅に向かったのです。
● 戸籍法の変更
- 三代戸籍の原則禁止
- 1948年(昭和23年)に戸籍法が改正され、夫婦と未婚の子どもまでを単位とする「二代戸籍」が基本となりました。
- これによって、戸主を中心とする三世代同居が当たり前という社会的枠組みは法的に解体されました。
家制度が残した名残
家制度自体は廃止されても、その習慣や言葉遣いが今も広く浸透している例があります。以下に代表的なものを挙げてみましょう。
- 「入籍する」という表現
- 結婚の手続きを「入籍」と呼ぶのは、「妻が夫の家に入る」ことを前提とした昔の考え方がもとになっています。
- 現在は夫婦で新たに戸籍をつくるため、「入籍」と言っても本来の意味とはやや異なっています。
- 「〇〇家に嫁に行く」
- 女性が結婚によって実家を離れ、夫の家に入るという発想の名残です。
- 法的には実際に「家」へ入るわけではありませんが、慣用的に使い続けられています。
- 夫婦が夫の姓を選択することが多い
- 現在は夫婦どちらの姓を名乗っても構いませんが、圧倒的に夫の姓を選ぶケースが多いのは、かつての家制度の影響が色濃く残っているためです。
- 長男が家を継ぐ意識
- 「長男だから親の面倒を見るべき」「長男が一番財産を相続するべき」といった考えは、家制度の名残を色濃く引きずっています。
- 実際は法律で平等が保証されており、継承のしかたは家族間で自由に決めることが可能です。
- 夫は外で働き、妻は家を守る
- 家制度のもとでは、男性が戸主として生計を立て、女性は家の中を守るという役割分担が当然とされていました。
- 現代では共働き世帯が増え、家事や育児を分担する風潮が高まりつつある一方、いまだに「妻が家事をするもの」という考えは残っているようです。
まとめ:変化し続ける家族観
廃止されてからすでに70年以上が経過している家制度ですが、その影響は今も社会や家庭内の価値観に少なからず反映されています。たとえば、結婚や相続での意識の違いや、日常会話に登場する言葉遣いなどから、その名残を感じ取ることができます。
- 家制度は消えても、根付いた考え方は簡単に変わらない
- 戸主を絶対視するような仕組みは法的にはなくなったものの、慣習として引き継がれてきた価値観は根強く残っています。
- 性別で役割を決める固定観念を少しずつ解消
- 家制度が否定されるようになった背景には、男女平等の実現を目指す社会の変化があります。
- 完全に意識が変わるには時間がかかりますが、一歩ずつでも柔軟な考えを広げていくことが大切です。
今後も人々の暮らしや社会の仕組みは絶えず変化していきます。歴史を振り返ることで、自分たちのなかに息づいている「家制度の名残」を認識しながら、より多様で住みやすい社会を作っていくことが求められているのかもしれません。