粉を水で溶き、キャベツや豚肉、海鮮などを混ぜて鉄板で焼く「お好み焼き」。この料理は、大阪と広島では見た目も調理方法も異なります。それぞれの特徴や発祥の地、人気の違いについて見ていきましょう。
お好み焼きのルーツ
お好み焼きの起源は、中国の思想家・孔子(紀元前552年~479年)が口にしていたとされる「煎餅」にあります。この煎餅は、小麦粉を水で溶いて焼いたもので、日本には吉備真備(695年~775年)が持ち帰ったと伝えられています。
その後、安土桃山時代(1573年~1603年)には茶人・千利休(1522年~1591年)が「麩の焼き」として発展させました。この麩の焼きは、小麦粉を薄く伸ばして焼いたもので、山椒味噌や砂糖を塗った生地を巻いた和菓子として親しまれていました。
明治時代から広がる新しい形
明治時代に入ると、東京で「もんじゃ焼き」や「どんどん焼き」といった現在のお好み焼きに近い形が登場します。これらは、味噌や砂糖の代わりに野菜をふんだんに使った料理で、当時は子どもたちのおやつとして人気を博しました。
「もんじゃ焼き」の由来
「もんじゃ焼き」の名前の由来は、子どもたちが鉄板の上で文字を描きながら食べていたことにあります。最初は「もじ」と呼ばれていましたが、次第に「もんじ」、そして「もんじゃ」という言葉に変化していきました。
「どんどん焼き」の由来
一方、「どんどん焼き」の名は、屋台の太鼓の音や、売れるペースの速さに由来しています。この料理は、もんじゃ焼きとは異なり、固めの生地で持ち運びがしやすく、テイクアウト用として人気が高まりました。
大正時代(1912年~1926年)になると、大阪や広島では「一銭洋食」として広まりました。一銭という安価な価格で楽しめ、ソースが洋風だったことからその名が付いたとされています。
戦後の変化と「お好み焼き」の誕生
戦後、食料不足の時代には、安価で手に入るキャベツを大量に使うことで、お好み焼きは単なるおやつから主食へと変化しました。昭和時代(1926年~1989年)初期に、「客の好みに合わせて具を焼く」という意味から「お好み焼き」という名前が生まれたとされています。
それぞれの地域で独自に発展したお好み焼きは、今でも多くの人々に愛されています。
大阪風と広島風の違いとは?
大阪風
具材を生地と混ぜ合わせ、鉄板の上で平たく焼きます。片面が焼き上がったらひっくり返して仕上げます。
広島風
生地を薄く伸ばした上にキャベツを重ね、その上に豚肉を乗せて焼き、途中でひっくり返します。その後、横で卵を焼き、それを生地の上に重ね、もう一度ひっくり返して完成します。
生地やキャベツの使い方の違い
大阪風 | 広島風 | |
---|---|---|
生地の特徴 | 粘りが強く、水分少なめ | 水分多め、クレープ状 |
キャベツの切り方 | 2~3センチの粗いみじん切り | 10センチほどの千切り |
ソースの違いと「モダン焼き」
ソースの特徴
- 大阪風:辛口のソース
- 広島風:甘口のソース
また、広島のお好み焼きには麺が入ることが多いですが、実は大阪にも「モダン焼き」と呼ばれる、麺を加えたバリエーションが存在します。
広島風が薄い理由と店名の背景
薄い生地の理由
広島風のお好み焼きが薄いのは、戦後の食糧難が影響しています。当時は小麦粉が貴重だったため、少ない材料で満足感を得るために中華麺やうどんが加えられ、現在の形に発展しました。
店名の由来
広島の多くの店名が「みっちゃん」「ふみちゃん」など女性の名前であるのは、戦争で夫を亡くした女性たちが生計を立てるために店を開いたことに由来しています。
お好み焼きの発祥地は?
今のお好み焼きに近いものは東京で生まれ、全国に広がっていきました。その過程で大阪や広島では「一銭洋食」として独自のスタイルに進化しました。「お好み焼き」という名称自体も、東京で誕生したとされています。
大阪と広島、どちらが人気?
「お好み焼き」と聞いて大阪風を思い浮かべる人は多いですが、店舗数で見ると広島風のお好み焼きが多いのが特徴です。これは、広島風の方が手順が複雑で、自宅ではなく外食で楽しまれることが多いためといわれています。
どちらが優れているかという議論もありますが、好みは地域や世代、時期によって異なるため、どちらかを選ぶのは難しいところです。結局のところ、どちらもおいしいという結論でいいのではないでしょうか?